伊藤長七 (寒水)
伊藤長七 (寒水)
墓所・胸像・顕彰碑
新設:2004-12-04
更新:2019-03-12
墓所
撮影:1996-10-27
伊藤長七(寒水)墓碑 表

伊藤長七(寒水)の墓は
雑司ヶ谷墓地(1種2号5側)にある

墓碑表面は
伊藤長七 妻ふゆ 之墓
と彫られている

墓碑裏面は
長七 昭和五年四月十九日歿
ふゆ 昭和四年六月三日歿
表 永田秀次郎筆
と彫られている

永田秀次郎は 当時 第14代東京市長
伊藤長七(寒水)墓碑 裏
胸像
撮影:2010-09-18

伊藤長七胸像
小石川中等教育学校玄関に設置されている伊藤長七胸像の銘文は次のとおり

わが母校の歴史は初代校長伊藤長七先生にはじまる
先生によって府立五中は第一次世界大戦後の日本に新教育の先駆として登場した
その伝統は第二次大戦後の小石川高等学校につづき 「開拓の精神」も生きている
伊藤先生は信州諏訪の産 終生を教育にささげ 1930年五中在任中 ご逝去
ときに53才
今に残るむらさき草の校章は先生の撰にかかる
1968年7月母校創立50年の佳日に 紫友同窓会記

「立志・開拓・創作 ―五中・小石川高の七十年―」によると 胸像は長七歿翌年の昭和6年(1931)2月に構内に建設 碑文草案橘純一 制作本山白雲
伊藤長七胸像
顕彰碑 (小諸) 伊藤寒水碑
撮影:1997-06-19他
伊藤寒水碑


伊藤寒水碑は 長野県小諸市東雲3760にある小諸善光寺(立志山大雄寺)境内に伊藤長七の教え子(立志同級会)が長七の一周忌に建立したもの

碑面揮毫は東郷平八郎の絶筆といわれる

背面(碑陰)に伊藤長七(寒水)の「小諸を去る辞」が長七の教え子・小山邦太郎による要約文にて刻まれている


参考 小諸善光寺・立志同級会

   小諸を去る辞



小諸善光寺(立志山大雄寺)
顕彰碑 (諏訪) 伊藤長七先生 頌徳公園
撮影:2008-06-08他
「伊藤長七先生頌徳公園」碑(諏訪)

「伊藤長七先生頌徳公園」碑は 旧甲州街道と県道424号が交差する「霧ヶ峰入口・四賀桑原」信号から 県道424号を上り、諏訪湖カントリークラブ手前右の道路脇に建っている

伊藤長七先生「創作開拓 伊藤寒水」碑は 「伊藤長七先生頌徳公園」碑から少し登った諏訪湖が見わたせるところにある

長七先生の郷土・諏訪の人々や教え子達 高師付中 五中小石川の紫友同窓会 などの関係者が1965年11月8日に除幕した

「創作開拓 伊藤寒水」碑は 諏訪出身の彫刻家・清水多嘉示の作品


伊藤長七先生「創作開拓 伊藤寒水」碑は 「伊藤長七先生記念碑」「伊藤長七先生頌徳碑」とも呼ばれ 昭和40年(1965)の除幕式の状況は 別ページ「伊藤長七先生記念碑除幕式」に掲載
「創作開拓 伊藤寒水」碑(諏訪)

伊藤長七頌徳公園から諏訪湖を望む
撮影:1996-11-17