伊藤長七 (寒水)
伊藤長七 (寒水)
琵琶歌 嗚呼伊藤長七先生
新設:2008-06-04
更新:2019-03-05

  ()()(うた) 嗚()()()(とう)(てう)(しち)(せん)(せい)
                       木村 岳風
                        (昭和6年作)
                      仮名遣い原文のまま
こぞの(はる) はかなく()りし櫻花(さくらばな)
いま爛漫(らんまん)()きつれど その春風(はるかぜ)にさそはれて
()まかり(たま)ひし()(きみ)の ふたゝび(かへ)らぬ(さび)しさよ

開拓(かいたく)創作(そうさく)(こえ)(たか)く 紫友(しゆう)(その)(ちゝ)となり
校風(こうふう)樹立(じゅりつ)して 名校長(めいこうてう)(うた)はれし
伊藤(いとう)(てう)先生(せんせい)を 追善(ついぜん)せんと四ツの()
調(しら)(あは)せて()りし()を しのぶも感慨(かんがい)無量(むれう)なり

おもへば()りし(ふゆ)(あさ) 鶴亀(つるかめ)体操(たいそう)()れやかに
校舎(こうしゃ)にひゞく號令(ごうれい)や フットボールに校庭(こうてい)
(こほ)れる(つち)蹴散(けち)らし(たま)ひしも 登山(とざん)キャンプの(なつ)(ゆう)
(ゑみ)をたゝへし温顔(おんがん)に 得意(とくい)詩吟(しぎん)(たか)らかに

  休道他鄕多苦辛  同胞有友自相親

  柴扉曉出霜如雪  君汲川流我拾薪

                       
                       <注>
                        通釈などは次のページを参照
                        「桂林荘雑詠示書生」ページ

(ぎん)(たま)ひて(おし)()に (まな)びの(みち)()かれたる
その面影(おもかげ)(いま)もなほ まのあたり()るごとくなり
靜思(せいし)(こえ)もおごそかに あふるゝ(なみだ)せきあへず
(おとこ)になれの()おしへに (おも)はず(あたま)(さが)りしも
昨日(きのふ)とばかり(おも)ふなり

(みなみ)(はる)けきアマゾニヤ 雲煙(うんえん)かすむたゞなかに
(あま)かけり()大鵬(たいほう)の いまは(いづ)()にいこふらん
(あゝ)(てん)なるか(めい)なるか (しん)()(ほん)建設(けんせつ)
使()(めい)(おも)育英(いくえい)の (たか)きのぞみを(おも)ひては 

(やまひ)(とこ)()(わす)れ (まな)びの(その)()(おく)
みちびき(たま)へる數々(かずかず)も いまはカタミとなりにける
げにもはかなき(うき)()かな

 みをしへの(よみが)へる(こころ)いだきつゝ
       (おほ)いなる()(ちから)をぞ(おも)

(のぞ)()()ゆる(わが)(とも)よ (まな)びの(みち)にいそしみて
わが校風(こうふう)宣揚(せんよう)し (おん)()(れい)をなぐさめん

(かみ)()りましゝ()(きみ)の ()(たま)はとはに(とゞ)まりて
(ちう)(えい)をまもるべし 五(ちう)(えい)をまもるらん


【出典・解説】
村岳風詩歌集  公益社団法人日本詩吟学院(元 社団法人日本詩吟学院岳風会)編集発行第二刷
昭和6年4月 先生は錦を着て 故国諏訪に帰郷し劇場都座に於て 琵琶と詩吟の夕を開催(主催信陽新聞社) 琵琶「嗚呼伊藤長七先生」 詩吟「国体篇」その他を熱吟 満員の市民を感動させた。その折の琵琶歌の全文がこれである。
(諏訪市宮坂博邦氏処にて発見されたプログラムによる)
伊藤長七先生は諏訪市普門寺の出身 東京府立第五中学校の初代校長として令名あり 詩吟を愛好し 木村先生を朗吟家として天下に送り出された恩人である。没後第五中学校の追悼会の開かれた時 木村先生はこの琵琶歌を演奏し 恩誼を想起して涙潸然 半ばにして座を立ち 後がつづかなかったのであった。
(竹ノ内岳宗氏談『岳風先生詩歌集』)

【注:按針亭管理人】
琵琶文の5行目「校風樹立」の前に 伊藤家に伝わる木村岳風謹作と記された「琵琶譜面」では 「4音の感動詞」が置かれ 七五調が保たれているが 「木村岳風詩歌集」では この「4音の感動詞」が削除されて 七五調のリズムが崩れており 謡うときも 朗読するときも 違和感がある なお 句読点を省いて掲載した